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2009年04月 アーカイブ

2009年04月02日

ごま油

ごま油(ごまあぶら; 胡麻油)はゴマ(胡麻)を圧搾して作られる食用油の一種。

通常はごまを焙煎してから搾油した、茶褐色の独自の香味を持つものを指す。焙煎の強弱でさまざまな種類がある。中華料理に主に使われるごま油は、200℃以上の温度で焙煎を行ったごまを搾油したもの。透明な太白油は、ほとんど生のまま原料のごまを搾ったもので、ごま油特有の香ばしい風味はしないが、ごま特有の旨みを有する。
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効能 [編集]
ごま油が近年注目される要因として、ごま油に特徴的に含まれるゴマリグナンがあげられる。ゴマリグナンにはセサミン、セサミノールをはじめとして主なもので6種類程度ある。ゴマリグナンの中のセサミンは、肝臓の活性酸素を取り除いてくれるので肝臓を守り、機能を高める。またアルコールが分解される途中でつくられる毒素・アセトアルデヒドの生成もおさえるので、ごまを食べると悪酔いや二日酔いを防ぐ効果がある。セサミノールは非常に強い「抗酸化物質」で活性酸素を取り除く効果があり、ごまをたくさん食べれば老化の進行や、病気の発生を防いだり、また紫外線によるシミやシワにも効果があるといわれる[要出典]。

用途 [編集]
揚げ油、炒め油として使用されるほか、中華料理などで仕上げに薫り付けとして加えられることもある。特に韓国料理にはトウガラシと並んでごま油の風味は欠かせない。韓国では日本より原料を強く焙煎したものが好まれる。

黒ゴマを搾った赤銅色のものを「黒絞り」、白ゴマを用いた淡黄色のものを「白絞り(しらしぼり)」と呼び、後者の方が高級品とされている。両者とも食用に供する他、後者は頭髪油としても用いる。

なお、生のままのごまを搾った食用油は「太白油」と呼ばれ、現在では高級油の扱いである。明治以前の日本では、精製せずに風味の良い食用油が得られたので榧等と共に重宝された。太白の名前の由来は、中国では金星のことを「太白」と呼んでおり、金星は夕方や明け方に一際明るく輝いて見えることから、「宵の明星」「明けの明星」と呼ばれ、美の女神ヴィーナスとも言われていることから来ている。

2009年04月17日

アーリム・ハーン

サイイド・エミール・ムハンマド・アーリム・ハーン(Emir Mohammed Alim Khan, 1880年 - 1944年)は中央アジアのブハラ・アミール国マンギト朝最後のアミール(在位:1911年1月3日?1920年8月30日)。

ブハラは1873年にロシア帝国の保護国とされたとはいえ、アミールは専制君主としてアミール国国内を統治していた。

13歳のとき、アーリム・ハーンは父王アブドュルアハト・ハーン(Abdulahad Khan)により、政治学と近代軍事技術を学ばせるために、サンクト・ペテルブルクに送られた。1896年、ロシア政府によりブハラ・アミール国の太子として正式に認められ、彼は帰国した。

ブハラにおいて父の統治を手伝った後、彼はナゼフ(Nasef)県の知事に任命され、12年間務めた。彼はその後、カルミナ(Karminah)の北部州へ転任し、彼の父が亡くなる1910年まで2年間、ここを統治した。

アーリム・ハーンの統治は、約束事をもって始められた。初め彼は、もはや如何なる贈り物も望まず、受け取らない、そして役人が国民に賄賂を要求したり、個人的に税を課すのを禁止する、と宣言した。しかしながら、アミールの態度が時の経過で変わるとともに、賄賂、税、役人の給与も変わって行った。伝統主義者と革新主義者との争いは、伝統主義者による統制、革新主義者のモスクワやカザンへの亡命という結果に終った。初めは近代化と革新主義者を支持しアーリム・ハーンも、それらの究極の目標が、支配者として彼や彼の子孫が排除されることに気が付いた、と考えられる。前王と同じで、アーリム・ハーンは伝統的支配者であった。彼はウラマーたちを押さえ込む道具として改革の考えを弄び、そしてマンギト朝支配を強固なものにするのに利用できるかどうかを見ていた。

最も重要なタジク人作家の一人、アイニー・サドリッディン(w:Aini Sadriddin)は、アミールの下での生活を活き活きと記述している。彼はタジク語を話すとして鞭を打たれ、後に著書『ブハラの死刑執行人』(Jallodon-i Bukhara)においてアミールの支配下での生活を描いている。

アーリム・ハーンは最初にして唯一、カリフを名乗ったマンギト朝の支配者であった。

1920年にボリシェビキがブハラを併合し、ブハラ人民ソビエト共和国を宣言したとき、アミールはアフガニスタンに亡命した。彼は1944年、カブールで死去した。

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